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2013年の変容:その69
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    (・∀・)からメッセージ。

    長文なので、本日はオネエ言葉ではない真面目モード?で語ります。

    どうぞお楽しみください♪




    『あなたは、幸福感や喜びを感じたことがあるだろうか?

    ・・・もちろん、答えはイエスだろう。

    ところで、その幸福感や喜びの正体は何か?と聞かれたらどうだろうか。

    喜びに正体がある、という発想は突拍子もないと感じるだろうか?

    今日は、その正体を明らかにしよう。



    あなたは、外側の”何か(対象物や出来事)”が

    幸せや喜びの条件と思ってはいないだろうか?

    幸せなのは、恋人がいるから、家族がいるから、友達がいるから、

    たくさんお金を持っているから、健康だから、好きなことをしているから・・・

    というふうに。


    ここで、「それは錯覚である」と言ったら、あなたはどう思うだろうか?


    あなたが幸福感や喜びを感じるのは、

    外側の”何か(対象物や出来事)”があるからではない。

    あくまでも、”何か”はただの「きっかけ」であって、

    それをトリガーとして、元々自分の中に持っていた至福感に気づいた、

    ということなのだ。

    だが、あなたがたのほとんどは、その”何か”があったから、存在したから、

    自分は幸せなのだ、という条件付きの幸せとして解釈してしまっていないだろうか?

    その認識でいくと、その何かが無くなったら、もう幸せじゃないということになってしまう。

    それで、あなたは満足であろうか?



    ハッキリと言おう。

    幸せを喜びを感じることに条件は必要ではない。

    なぜなら、あなたは喜びそのものだからだ。

    それが、あなたの正体だ。

    それは、永遠に至福感を味わい続けることも可能だ、ということだ。

    そのために、試行錯誤する必要はない。

    ただ「そうである」と思い出すだけでいい。

    何かをきっかけに生まれた(気づいた、思い出した)幸福感や喜びに

    浸っていればいい、それだけだ。

    それこそが、真実であり、現実であり、あなたの本当の姿だからだ。



    何かがあなたを幸せにするわけではない。全く関係ない。全く意味はない。

    ただのきっかけ。それ以上でもそれ以下でもない。

    それをつなぎ止める必要もなければ、しがみつく必要もない。

    いくらとどめようとしても、それは、いずれ壊れていく。

    崩れていく。消えていく。

    これが、諸行無常と表現される、この世の常だ。

    常に変化し、形を変えていくただの幻にすぎない。

    だからこそ、それを崇め奉る必要はなければ、感謝する必要もない。

    感謝したければすればいい。それはあなたの自由だ。

    したいようにすればいい。

    ・・・・・・

    このような話を聞いて、あなたはどう感じただろうか。

    虚しくなっただろうか?悲しくなっただろうか?がっかりしただろうか?

    けれども、そう感じているのは、あなたではない。

    自我(エゴ)だ。

    何かに向かって、何かを頼りに、何かを生きる糧として、

    自分の存在価値を見出している自我にとっては、愕然とする話だろう。

    これからどうやって生きていけばいいのだ・・・

    とショックでうなだれるほど絶望的な話だろう。

    ただ、その苦しみを感じているのは自我であって、あなたではない。

    そのことを知っておいて欲しい。

    どうか、その苦しみとあなたを同一化させないで欲しい。



    自我は、幸せになるためには条件が必要であると思い込んでいる。

    その思い込みが自我のエネルギーとなる。

    エネルギーを補給するために、それを求めよう、追いかけようとする。

    追い求めようとすることは、決して間違いではない。

    しかし、正解でもない。

    それは、「今」という無限の可能性を包括している本当のあなたに

    出会うチャンスを逃しているということになるからだ。

    本当のあなたに出会うには、

    今、この瞬間、幸福感や喜びを感じているという事実。

    これだけあればいい。

    その何かは、必ずしも必要ではない。

    必要だ、と思い込みしがみつくことを執着と表現することがあるが、

    執着はあなたを苦しめるだけだ。

    あなたからエネルギーを奪い取り、自我にパワーを

    与えてしまうだけだ。

    潔く、手放してしまいなさい。

    「それは必要ではない。なぜなら、私はすでに満たされているから」

    と断言してしまいなさい。自我に聞こえるように。

    そして、ハイヤーセルフにすべてを委ねてしまいなさい。

    何も杞憂することはない。

    あなたが失うものは何もない。

    あなたはすべてを持っている。

    あなたはそのことを忘れているだけで、ハイヤーセルフはそれを知っている。

    だから、すべてを任せてしまいなさい。

    あなたが持っている至福感を思い出させる更なるきっかけとして、

    ハイヤーセルフが必要としていれば、その何かは、

    自然とあなたのもとに引き寄せられてくる。

    逃した魚は大きいわけではない。大きくないから、あえて逃したのだ。

    ハイヤーセルフが納得しなかったのだ。

    「あなたはそんな些細な幸せのために存在しているわけではない。

    誰もが体験したことがないもっともっと大きな喜びを味わうために存在している。」

    そうハイヤーセルフが言っているのだ。

    もっともっと素晴らしい、あなたの想像を超えた至福感をあなたに体験してもらうために、

    ハイヤーセルフがすべてパーフェクトにお膳立てしてくれる。

    あなたの喜ぶツボはハイヤーセルフが熟知している。

    ハイヤーセルフこそが本当のあなた自身だからだ。

    あなたはただ、リラックスしていればいい。

    したいことをしてればいい。何も考えず、感じるままに。

    だから、自我がしゃかりになって追い求めようとする必要はない。

    求めて、追いかけて、たとえ手に入れることが出来たとしても、

    いずれ「これも幸せになる条件ではなかった・・・」ということに気づくだけだ。

    何かを求めるということは、その気づきを腑に落とすまで繰り返される茶番劇なのだ。

    後に、その気づきを得るために必要な経験だった、とするならば

    多少なりとも崇高な意味をなすかもしれない。

    そして、「もう追い求めるのはやめよう」と今までのパターンから抜け出れば、

    自我の成長につながるかもしれない。

    だが、自我の成長は、自我とハイヤーセルフの主導権交代を意味する。

    権力を維持し続けたい自我は、

    今まで無意識に繰り返してきたパターンにすぐ戻ろうとするだろう。

    自我も生き残ろうと必死なのだ。

    隙を狙って条件反射のように、反応するだろう。

    クセは「直そう」と意識的にならなければ、直せない。

    自我の反応にストップをかけることが出来るのは、あなたという意識だけだ。

    自我をくまなく観察し、すぐさま反応に気づいて方向転換しなければ、

    同じ次元をウロウロとさまようこととなり、無条件の愛とは程遠い、

    条件付きの愛という幻を永遠に追い求めなければならなくなる。

    自我は、あなたがヘトヘトに疲れ果て倒れるまで追い求めようとするだろう。

    あなたが気づくまで永遠に、だ。

    だからこそ、あなたが無意識のままではいけない。

    もちろん、無意識のままでいたいと望むなら止めはしない。

    ただそれは、苦しみを選択するということだ、ということを知っておいて欲しい。



    無条件の愛には、その名の通り、条件が存在しない。

    条件付きの愛と違って、追い求め続ける必要もない。

    なぜなら、無条件の愛は、今、ここに、あなたの中にすでにあるからだ。

    それに気づくきっかけは、外側の何かでもいいし、

    過去という記憶の中のどれでも構わない。

    そのすべては幻想であり、幻影だ。

    だからと言って、がっかりする必要はない。

    その幻は、あなただけのために存在している。

    あなたが本当の自分を思い出せるようにと、

    ハイヤーセルフがあなたのためにしつらえたものだからだ。

    それをどう使おうと、あなたの自由だ。

    その中から、あなたをときめかせるもの、高揚させるものを選択し、

    大いに活用すればいい。誰にも遠慮することなく。

    それを活用することによって、幸福感や喜びを感じ、

    あなたはいつでも本来のあなたに戻ることが出来るのだ。

    あなたの見ている幻想というリアリティの世界は、ギフトであり、愛なのだ。



    あなたの内側にあるその喜びだけにフォーカスすればいい。

    外側にフォーカスするのは、恐れや不安に囚われた自我のやることだ、と

    知っておいて欲しい。それは、本当のあなたではない。

    真実は、あなたの内側にある。

    真実は、あなたの内側にしかないのだ。

    内側に展開された世界があなたの真の現実だ。

    あなたはそこにいればいい。そこに意識を向けるだけでいい。

    常にそこに居続けると決めればいい。

    そう決めた時、

    あなたの見ている外側の世界に、

    あなたの内側と同じ世界が広がっていることに気づくだろう。



    これは、どういうことか・・・

    驚愕の事実だ。

    あなたは生かされているのではない。

    あなたがすべてを生み出しているのだ。

    なぜなら、あなたは、いのちの源そのものだからだ。

    今まで、それを意図的に忘れていただけだ。

    一旦、全能な神であることを忘れ、不完全な人間という役に徹し、

    人生というプロセスを歩む中で徐々に本当の自分を思い出していく

    そういうゲームをしているだけだ。

    人生とは、神のお遊びなのだ。

    だが、ふざけているわけではない。

    あくまでも、真剣にゲームに没頭し、無我夢中で楽しんでいる。

    この話を受け入れられない魂たちがいることは知っている。

    受け入れられないなら、無理に受け入れる必要はない。

    こういう話を聞いて、気持ちがフッと楽になるなら、受け入れればいい。

    それだけだ。

    真実は、その内明らかになる。全員に知らされる。

    だから今は、すべてを知ろうとする必要はない。

    真実は、多種多様だ。人の数だけ真実は存在する。

    だが、それはいずれ同一だ、とわかる瞬間が訪れる。

    だから今は、すべてを受け入れる必要はない。

    ただ、あなたが心地よいと感じるものを選べばいい。

    ショッピングと同じ感覚でいい。気楽に選べばいい。

    あなたが気に入ったものだけを手に入れればいい、

    使ってみて、気に入らなかったら手放せばいい。

    それだけだ。(・∀・)』





    つづく・・・

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    posted by: メモル | 神との談話2013 | 12:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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